凍京のくらし

生死者追跡者(リビングデッド・ストーカー)の目線から綴られる「凍京」の姿。『凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ>』脚本担当・下倉バイオによる書き下ろし小説「凍京NECRO PREDAWN」を特別に公開します。

凍京NECRO PREDAWN〈後編〉

初出:「TECH GIAN」2016年2月号

 ホットパイプは熱源であり、電源であり、水源でもある。かつて山手線と呼ばれたその環状線は、巨大な主幹を巡らせて、凍京の大動脈と呼ばれていた。軍警察本部が存在する西新宿は、東の上野浅草間に並ぶホットパイプ密集地帯であり、旧新宿駅のすぐ西にそびえる山手総合病院もまた、凍京の一等地にあるといっていい。

 だからこそ、細心の注意を払わねばならない。シーラカンスの中で周囲を見守りながら、早雲はボスの燎子に尋ねた。

「川良のシフトが終わるのは?」

『急患が来なければ、10時半過ぎね』

 あと3分。普段なら仕事が終わるのを待って、人気のないところまで尾行してから決着をつける。だが——

「あー、ヤベ」

 助手席に座るエチカがぼやく。早雲が視線の先を追いかけると、ライバル事務所の義城蜜魅が病院へと足を踏み入れるのが確認できた。逃げも隠れもしないどころか、人工筋肉スーツと腰に佩いた焦屍丸は、「戦いに来ました」と自ら宣言しているようなものだ。

「燎子さん、ど−する?」

『仕方がないわ。ふたりとも、中に入って川良をマークして。ただし、こっちから手出しはしないこと。潜入はあくまで二次被害を防ぐのが目的よ』

「了解」

「りょーかい!」

 早雲のエクスブレインはフルフェイスヘルメット型で、病院に被って行くには目立ちすぎる。こんな時頼りになるのは、エチカが使う簡易型のエクスブレインだ。一見髪飾りと見まがうふたつのユニットは、精度はさすがに劣るものの、ホログラスとの併用で対リビングデッド戦闘には十分な効果を発揮する。だが——

「エチカ、頼むぞ」

「いざとなったらね」

 命の危険を犯してでも、機械に頼らずカンを頼りに戦うことをポリシーとする牙野原エチカを、相棒を務める早雲は未だ十分に理解できていなかった。

▼ ▼ ▼

 生死者追跡事務所のバックオフィスは優秀だ。合法、非合法の手段を問わず山手総合病院に関するデータを収拾し、最前線で命を張るエチカたちを補助する。その連携こそが、凍京一の成果を下支えしていた。

「やあ、蜜魅!」

「な……そ、早雲!?」

 病院のロビーで案内図を熟読していた義城蜜魅は、不意に声をかけられて即座に刀へ手を伸ばした。が、相手が早雲だと認識した途端、固まってしまう。彼女は戦い一筋の武人、あらゆる状況に対処する超実践剣法アドバンスド・タイ捨流剣術の遣い手だが、しかし恋は持て余す。彼女の想い人である臥龍岡早雲を宛がうのは、鴉済燎子によるライバル対策の定跡だった。

 ちなみに、誰が見ても「恋をしている」としか見えない義城蜜魅の振る舞いを、好意を向けられている当人である早雲は気付いていない。どうしようもない鈍感男を、エチカは「ボンクラボーイズ一号」と名付けていた。二号は今大阪に出張中だ。

「どこか怪我でも?」

「い、いや! そういうわけではないのだが……!」

 盛大に顔を赤らめる蜜魅をよそに、エチカは堂々待合室を横断、立ち塞がる警備ロボット(ヒューマノイド・オペレーティング・マシン)にIDを提示して、そのまま内部へ忍び込む。

 すでに院内の見取り図は燎子から送付済で、今勤務時間を終えた川良拓也がどのエリアにいる蓋然性が高いか、その数値までが提示されている。エチカは見舞客を装ってエレベーターに乗り込むと、医局に移動——しようとして、いきなり出くわした。

「何階ですか?」

「6階です」

 エチカは咄嗟に、光るランプの1階下を告げる。清潔な白衣に伸ばした髪を結んで垂らす、中肉中背の男——川良拓也。連日のハードワークが続いているはずだが、その背中に疲労は見受けられない。すでにボタンが押されていた7階には、脳外科の患者が入院しているはずだ。回診には遅い時間。

 エチカは部屋の隅に陣取りながら容疑者の姿を観察するが、特に不審な様子は見当たらない。気になるのは手にした麻のバッグで、ジッパーが微かに空いているが、肉眼では中が窺えない。確認するべきだとエチカのカンがささやいて、それを可能とするエクスブレインに頼るべきかどうか判断に迷い、結論が出る前にエレベーターが停止、時間がない。

 ——クソ!

 エチカは毒づきながらエクスブレインを起動。

「——6階ですよ」

「あ……どうも」

 エチカは疲労の余り眠りかけていた体を装って、すれ違い様に頭を下げる。ホログラスの中継映像がバッグの中身を捉え、外部電脳が即座に解析を始めるが、如何せんデータが足りない。更に詳細な分析を行っている間、結果が出るのを待たずに移動、扉を閉めて上昇を再開する鉄の箱を、階段で追いかける。

 7階でエレベーターの扉が開き、外へ出た川良の足音が遠ざかるのを確認してから、エチカは廊下へ身を滑らせた。目標は長髪をゆらゆらと揺らしながら並ぶ病室の間を進み、とある個室の前で止まった。「大野泰我」——エクスブレインは即座にインフォを示す。57歳男性、元自衛陸軍所属で、米中戦争中死亡率9割超のMAREに感染、帰国後に発症。先進治療でかろうじて一命はとりとめたものの植物状態に陥り、10年以上も昏睡状態が続いたまま。いつ死んでもおかしくない。主治医の名は川良拓也。

 嫌な予感に突き動かされ、エチカは僅かに開いた扉の隙間から中を覗き込む。人工呼吸器の傍らで、身動きの取れない患者に手をかざす川良。エクスブレインの分析結果を待つまでもなく、彼の手に注射器が握られているのを確認する。

 ネクロマンサーが注射するものなら、子供でも知っている。リビングデッド化の際体内へと注入する秘薬、死霊(レムレース)。神経に擬似信号を送るマイクロマシン、機能が低下した内臓や筋肉を無理やり動かすための生体アクチュエータ、人工多能性幹細胞、そしてそれらを操るマスターの血——医学が進み医療従事者の主な役割がナノマシンのメンテナンスとなった現在でも、死霊(レムレース)の薬理作用は解明されていない。一部ではオカルティックな言説が横行しているが、とにかく、事実はこうだ。

 死霊(レムレース)を死体に注射するとリビングデッドを創ることができる。

「オイコラ何してるッ!!」

 ボスの燎子の判断も、エクスブレインのサジェストも待たず、エチカは病室へと飛び込んだ。

「——どちら様ですか?」

「川良。おまえを生死者犯罪特別対策法で逮捕する!」

 IDを突き出しながら接近、エクスブレインが敵の脅威度を査定——クリア。コートの内側から、スタン・カフを取り出すと、慣れた手つきでその両手を後ろ手に拘束する。

「私が何をしたって言うんです?」

 川良の抗議は余りに落ち着き払っていて、挑発しているようにさえ思える。エチカは余計な言葉を発さず、腕を引っ張り病室を出た。ネクロマンシーには創り手の血液が必要だ。今いくらとぼけたところで血を分析してリビングデッドと比べれば、犯人の動かぬ証拠となる。川良は特に抵抗もないままに連行されるが、抵抗を諦めたのかそれとも——

「ちょっと待って下さい!」

生死者追跡者(リビングデッド・ストーカー)だ」

 後ろからかかるナースの呼び声に、エチカはIDを突き出しながら無造作に振りかえり、エクスブレインの警告(アラート)が鳴る。

 黒髪のナースが手にあの起爆装置を握り、ボタンを押した。

△ △ △

 山手総合病院が爆破されたことで、事態は急変した。騒ぎに乗じて逃げ出した川良拓也を、事態を嗅ぎつけたライバルたちが次々に追跡するだろう。

 燎子が追跡調査で川良の身辺を洗ったところ、青山葬儀場に協力者が存在し、横流しされた死体が少なくとも10体を超えていることが判明した。まだまだ数は増えそうで、敵の総戦力がはっきりとわからないリスクはあるが、敵はいつ無差別に爆破テロを起こすとも限らない。時は一刻を争う。早雲はシーラカンスを操ると、ひとりで青山の川良の自宅へと急行した。

 コネリンが通話で震える。

『なあ、早雲』

「エチカ。おまえは大人しく寝てろ」

 ネクロマンシーを受けたナースの自爆行為で、エチカは側を歩いていた老婆を庇い、腕に大怪我を負った。今の医療技術なら半日あれば元通りだが、さすがに直後の追跡は不可能で、今は病室のベッドで横になっている。

『嫌な予感がする。大きな見落としがあるみたいな……気をつけろ』

「肝に銘じる」

 まだ苦痛の滲むエチカの忠告に感謝しながら、早雲は首都高の陰に車を止めた。川良邸は中華街渋谷から東へ抜けた場所に佇む、歴史ある洋館だ。少し磨けば結婚式でも開けそうな小洒落た外観だが、長く手入れがされておらず、今はむしろ幽霊屋敷の趣だ。資料によれば川良拓也の大叔父は3代目の凍京都知事川良柳剛——つまりは名家ってことだ。

 早雲はリビングデッド越しにネクロマンサーと接触したから、当然こちらのことは調査されているだろう。ならば今更遠慮は要らないし、余計な小細工をする必要もない。

 両手に握るマズルスパイク付き拳銃リ・エリミネーターは、対リビングデッド戦闘に特化した牙だ。もし罠があるならば、エクスブレインが知らせてくれる。早雲は両開きの扉を開け、堂々と建物の中へと入る。

 視界の開けたエントランスホールは、旧世紀のホラー映画にお誂え向きだ。大理石の床は埃にまみれ、窓ガラスはひび割れだらけ、シャンデリアには蜘蛛の巣が張っている。配管を熱湯が走っている気配はなく、建物全体が冷気に満ちていた。死体の腐敗を遅らせるために、ネクロマンサーがよく使う手だ。

 何より特徴的なのは、早雲の馴染みのこの臭い——屋敷全体に満ちる死臭だろう。ナノテクノロジーは進み臭気を完全に遮ることが可能になったといわれるが、大量の死体を保管すれば科学の網にも必ず綻びが生まれる。多分、敵のリビングデッドは一体や二体じゃ足りない。

「フゴオオオオオオ————ッ!」

「ガアアアアアアア————ッ!」

 案の定、早雲を取り囲むように、リビングデッドが次々に姿を現す。街中で人に紛れて自爆テロを行ったHi-Fiとは異なり、死体に死霊(レムレース)を注射しただけのLo-Fi——いわゆるグールだ。ホットパイプの蒸気が止められているのは幸いで、エクスブレインはすぐに発砲許可を出す。早雲は二挺のリ・エリミネーターを構えると、くぐもった声と共に襲いかかるリビングデッドを再殺にかかった。

 掴みかかる腕をダッキングで躱し、脇の下をくぐり抜けると後頭部を殴りつける。鋭利なマズルスパイクが頸椎に突き刺さり発砲。撃ち込まれたホローポイント弾は速やかに変形(マッシュルーミング)し、運動量を余すことなくグールの脳に伝える。赤黒い血と腐りかけた脳が眼窩から飛び出すが、早雲はそれを見届けない。サジェストに従い、敵の腕を払い脚を薙ぎ、前のめりになった敵の背中に脚をかけて2階へと向かう階段へ跳ぶ。雑魚には構っていられない。不可視光線も見分けるエクスブレインは生体反応を追いかけ、上階の僅かな熱源を捕らえていた。

 早雲は円形のホールの壁にカーブを描く階段を進む。落下を恐れず飛びかかるリビングデッドを、鋭いカウンターで迎え撃つ。針のような一撃でヘッドショットを決めると、衝撃で微かに浮き上がる敵の腕を、マズルスパイクで引っかけて投げ飛ばす。階段を追い縋るグールが将棋倒しになって転げ落ちた。

 早雲が使うのは近接銃術——自衛陸軍が編み出した、対リビングデッド専用の格闘術だ。死者は狭い部屋に長期間貯蔵しておくことが可能だし、殺した敵をそのまま自分の手下に創り変えることもできる。敵の総数を推し量ることが困難で、「1匹見たら100匹いると思え」とも言われていた。

 更に厄介なのは、彼らが全く苦痛を感じないこと。ただその脳を破壊されるその時まで、マスターであるネクロマンサーの命令に忠実に従う。

 そんなリビングデッドに対抗すべく生み出された近接銃術のテーマは、「限られた弾数でいかに効率的に脳を破壊するか」。外部電脳(エクスブレイン)のサポートで死体へと肉薄し、マズルスパイクで殴りながら、確実に一撃で脳を破壊する——臥龍岡早雲は近接銃術の優秀な遣い手だ。

 階段を上りきって、2階へ。かつては落ち着いた色合いの居住スペースとして利用されたのだろうが、今は見る影もない。所狭しと並ぶ器械台や消毒台は、赤黒い血にまみれ、錆び付いていた。中には手製爆弾の材料となったあの寸胴鍋も並んでいて、ここであの自爆テロが下準備されたのは間違いなかった。

 当然のように扉からリビングデッドが飛び出し襲いかかる。脳を破壊され行動不能になった死体が、金属台にけたたましい音を響かせる。

 早雲はエクスブレインが示す提案(サジェスト)を忠実に実行し、死者を再殺する。余計な感情が割り込む隙などない。殴レ——殴る。跳ベ——跳ぶ。撃テ——撃つ。再殺・再殺・再殺。臥龍岡早雲はインプットをアウトプットに出力する機械だ。

 34秒、左右合計15発の発砲で15体のリビングデッドを殺しきり、早雲は目的の部屋へとたどり着く。間取り図からいえば書斎にあたるスペース。早雲は迷わず気負わず扉を開ける。

 左右に天井まで伸びる書棚を抱えたその部屋は、赤黒い血肉にまみれていた。床は足の踏み場もないほどの蔵物で満ちていて、その真ん中に佇む人影の純白のシルエットを映えさせている。

「遅かったな」

 義城蜜魅は、開いた扉からの清風に髪をなびかせて告げた。敵を屠った超音波振動ブレード「焦屍丸」を血震いして腰に下げるが、純白の人工筋肉スーツは一滴の返り血も浴びていない。足元には、屍肉の血だまりに長髪を濡らして両手足を拘束された、川良拓也の姿があった。

 先を越されたのだ。

「今日は負けたよ」

 早雲はあっさりと認める。義城生死者追跡事務所鴉済生死者追跡事務所のライバルで、勝つことがあれば当然、負けることもある。

 すぐにその場を去る気になれず、部屋の様子をぐるりと見回した。壁一面に並んでいるのは、革張りの百科事典と分厚い医学書。今時紙の本を陳列して悦に入るなんて、よっぽどの好事家だ。窓際に設えられた机に並ぶのは、川良の仕事の資料だろう、電子ペーパー(パピルス)に映し出された患者たちのカルテで、MAREの症状が事細かに記されているようだ。

「どうかしたか?」

「ん、いや——」

 蜜魅の疑問に答えあぐねて、早雲は床に突っ伏す川良へと近づいた。「嫌な予感がする」——エチカの言葉が、どうしても引っかかる。

「なぜ、こんな事件を起こしたんだ?」

 スタン・カフに手足を拘束されたまま、うつぶせの川良はゆっくりと首を振る。濡れた髪をぐるりと巻いて、静かに顔を上げた。

 歯に起爆装置が咥えられている。

 警告(アラート)——早雲のリ・エリミネーターも、蜜魅の焦屍丸も間に合わない。歯に咥えられたまま、床にたたきつけられた起爆装置のスイッチは押し込まれ、爆発へのカウントダウンが始まる。

「復讐だよ」

 装置を吐き捨てて、死を覚悟した川良は言う。その微笑みが本物かそれとも作り物かを判断する時間もないまま、早雲はエクスブレインの警告(アラート)に従い行動を開始、事態の把握が一瞬遅れた蜜魅の手を掴み、

「えっ」

 と戸惑う彼女を引き寄せて開いた窓から空へ、ふたりは屋敷全てを吹き飛ばす爆発の余波で、高く高く舞った。

○ ○ ○

「で、ここに?」

「ああ。嫌な予感が見事に当たったよ」

 山手総合病院の病室で、早雲はエチカの隣に仲良く並び治療を受けていた。そう大きなケガではなく、検査もしたのですぐに退院できるだろう。

「川良は自殺。同時に屋敷も木っ端微塵で、証拠が全部飛んだ」

「マジで? エクスブレインの映像は?」

「あるけど、ソリッドスキャンをしたわけじゃない。それがどこまで証拠になるか」

「ってことはもしかして……」

「川良が一連の事件のマスターであるという証拠が出ない限り、ただ働きだ」

「えーマジでー? こんな痛い思いまでしたってのに!」

「諦めろ」

「やだー! やだやだやだやだー!」

「病室で騒ぐな」

 早雲は呆れ顔でエチカを宥める。そんな馴染みの光景を前に、入院の支払いを終えたボスの鴉済燎子は、笑顔で話しかけた。

「はいはい、ふたりとも。これから真犯人を逮捕に行くわよ」

「…………」

「…………」

 放り込まれた爆弾発言に、早雲とエチカは思わず顔を見合わせる。

「燎子さん、今なんて?」

「真犯人って……川良がやったんじゃないんですか?」

「彼は利用されたのよ」

 燎子は笑顔だが、言葉は確信に満ちている。

「屋敷にはたくさんの爆弾がありました。彼が一連のリビングデッドを創ったと考えるのが自然だと思います」

「体はね。でも、彼はネクロマンシーを修得していない。死霊(レムレース)は創れなかったし、マスターにもなれなかった」

「アイツ、あの植物状態のおっさんに注射しようとしてたけど——」

「そう、植物状態。大野泰我は自分では指先1本動かすことさえできないけど、まだ生きていた。生きている人間に死霊(レムレース)は効かない。逆に考えてみたらどうかしら?」

「逆って、どゆこと?」

死霊(レムレース)を創るのには、ネクロマンサーの血が必要。川良は死霊を注入してたんじゃなくて、死霊の元となるマスターの血を回収してた」

 燎子の言葉に、早雲とエチカは顔を見合わせ、コネリンにマルチフリックでデータを呼び出した。

 「大野泰我」57歳男性、元自衛陸軍所属で、米中戦争中死亡率9割超のMAREに感染、帰国後に発症。先進治療でかろうじて一命はとりとめたものの、現在は植物状態になっている——

「発症して植物状態になったのは、帰国してからですか?」

「ええ。MAREの致死率は9割超で、生存者もそのほとんどが通常の生活を行えなくなるわ。運が良くても植物状態になることを見越した大野は、マレーシアの最前線で学んだネクロマンシーを用いて、主治医の川良をHi-Fiに仕立て上げた。一見人間と見わけがつかないほど良く偽装されたリビングデッドを経由して、粗悪なリビングデッドを量産。連続自爆テロを起こさせた」

 リビングデッドにリビングデッドを創らせた——燎子の推測に、早雲は相づちをうつ。

「ナースが病室ではなく廊下で自爆したのは、マスターの体を守るためですね。川良の屋敷を爆発させたのも、証拠になり得るマスターの血液を破棄するため?」

「鑑識のやる気次第では、屋敷の瓦礫から結果が出るかもしれない。でも確実なのは、リビングデッドの血液中の死霊(レムレース)と本人の血液を照合することでしょうね」

 鴉済生死者追跡事務所のボス、鴉済燎子。早雲とエチカが一流の生死者追跡者(リビングデッド・ストーカー)として活躍できるのは、燎子の優秀なバックアップのおかげだ。

「復讐、ね」

 ぽつりと呟くエチカの声は、苦々しさに満ちている。米中戦争から帰国した自衛陸軍の隊員を、凍京都民は「人殺し」と詰り敬遠した。平和な生活に馴染めず悪の道に手を染めた元自衛陸軍隊員は決して少なくない。

「わざわざ人前で見せつけるみたいに自爆ボタンを押して、逃げる時間を作ったのは、連続テロの目的が人を殺すためじゃなく、『リビングデッドと戦った自分たちの恐怖を追体験させるため』——ってとこ?」

「できるのは想像だけね」

 大野はベッドの上で人工呼吸器をつけられたまま、10年以上も眠り続けている。外見からは意識があるのかどうかさえ判然としない。

「ま、そーだね。テロはテロ。あたしたちは行為に対し必要な対応をする。それだけ!」

「ちょっと待て!」

 包帯を解き、今すぐ大野の病室へと向かおうとする相棒を、早雲は慌てて呼び止めた。

「んだよ?」

「他にもリビングデッドがいたとしたら?」

「あー」

 川良経由で大野が創ったリビングデッドが、あの屋敷で倒したもので全てとは限らない。胸に寸胴鍋型の爆弾を埋め込んだ敵が、今も潜んでいる可能性がある。

 だがエチカは悪びれず、病室の壁に掛けた携帯チェーンソー(ラビットパンチ)を掲げて笑った。

「そん時ゃ、仕事が増えてラッキーさ!」

<了>

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